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広島高等裁判所 昭和29年(ナ)2号 判決 1954年7月01日

原告 河野茂作

訴訟代理人 中川鼎

被告 山口県選挙管理委員会

代表者委員長 弘中武一

主文

被告が訴願人作道増太の当選の効力に関する訴願に基いて昭和二十八年九月二十二日執行の山口県都濃郡須々万村議会議員一般選挙における原告の当選を無効とする旨昭和二十九年二月二十八日なした裁決はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として原告は昭和二十八年九月二十二日執行の山口県都濃郡須々万村議会議員選挙で当選人と決定したが選挙人である訴外作道増太が同年十月一日原告は被選挙権を有しないから原告の当選は無効であるとして同村選挙管理委員会に対し異議の申立をなし同委員会は同年十一月一日右申立を棄却したが同訴外人は更に右決定を不服とし同月二十一日被告委員会に訴願を提起した。然るに被告委員会は昭和二十九年二月二十八日主文第一項掲記の如き原告の当選を無効とする旨の裁決をなし同日これを告示した。その裁決の理由は要するに原告は昭和二十七年十二月以来その住所を須々万村から徳山市に移していたもので本件選挙施行当時は須々万村においては選挙権、被選挙権を有しなかつたから右当選は無効であるというのである。然しながら原告の住所は右選挙の前後を問はず須々万村にあつて徳山市には存しない。元来住所即ち生活の本拠は本人の経済的中心、社会的中心及び公人としての地位に在るものはその政治的中心を参照して定むべきものである。原告は右須々万村に生れ、同村長の前歴を持ち、同村において土地家屋を所有しこれに居住し、住民として登録され、村民税も負担し、村会議員兼日本殖産金庫徳山支店須々万出張所長(昭和二十八年四月以来勤務)として政治的、社会的且経済的活動を営みつつあるので原告の生活の本拠は右須々万村の外には存在せず、原告は疑もなく同村に選挙権、被選挙権を有する。仍て被告委員会の本件裁決は違法であるからこれが取消を求める為本訴に及んだと述べ、立証として甲第一、二号証、第三乃至第六号証の各一、二、第七号証の一、二、三、第八乃至第十一号証の各一、二、第十二乃至第十九号証を提出し、証人松永貢、堀家久雄、河野順一、岡本保吉、梅田光次郎、藤本敏雄、小川チカ、小川静一、三輪ユミ子、神田綾子、磯部敏彦、糸曽景暁、河野重彦の各証言、原告本人訊問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。

被告代表者は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として原告の主張事実中その主張の如き経過並に理由でその主張のような訴願の裁決のなされた事実は認める。

然しながら住所は生活の本拠であり、それは私生活の中心拠点であつて職務上或は政治上の活動地とは関係がない。原告は昭和二十七年四月以来徳山市に住居を新築し且同所に旧家屋を移築し、生活に必要な家財及び祖先の位牌をその家に運び、全家族である妻子と共にその家に引越し、旅行、出張等の例外の場合を除いて殆んど該家屋に起臥し、他に対しても自らそこに住所の在ることを表明して来たので原告の住所は徳山市に在つて須々万村にはないと述べ、立証として乙第一乃至第四号証を提出し、証人藤井智光、岸村茂、作道増太、山下孝雄の各証言を援用し、甲号各証の成立を認め、甲第十二乃至第十四号証を援用すると述べた。

理由

原告が昭和二十八年九月二十二日執行された山口県都濃郡須々万村議会議員選挙に立候補して当選人と決定されたがその当選の効力に関し選挙人訴外作道増太より同村選挙管理委員会に対し異議の申立をなし、同委員会はこれを棄却したが同訴外人は更に被告委員会に対し訴願をなし、被告委員会は原告主張のような理由でその主張のような裁決をなしたことは当事者間に争がない。

そこで原告主張のように当時原告が右須々万村に住所を有していたか、それとも被告主張のように住所を徳山市に移していたかの点について考えてみると、成立に争のない甲第二号証、第三乃至第六号証の各一、二、第七号証の一、二、三、第八乃至第十一号証の各一、二、第十五乃至第十九号証、乙第二、三号証に証人松永貢、藤本敏雄、堀家久雄、河野順一、梅田光次郎、磯部敏彦、糸曽景暁の各証言、証人小川静一、小川チカ、三輪ユミ子、神田綾子、河野重彦、藤井智光、岸村茂、作道増太、山下孝雄の各証言の一部と原告本人訊問の結果の一部に弁論の全趣旨を綜合すれば原告は出生地たる須々万村字下古津に宅地約百四十坪、山林十四、五町を所有し、同村字本庄に自宅として建坪約五十坪の家屋と同敷地である宅地約三百坪、畠二反五、六畝(内一畝自作)田五反(内一反自作)を所有し、昭和二十一年から四年間同村農業委員会長となりその間昭和二十二年から同二十六年三月迄同村長を勤め、同二十八年四月一日から日本殖産金庫徳山支店須々万出張所長として同村の事務所に勤務し、今回の選挙で村会議員に立候補し最高点で当選したものであること、原告の家族は妻と子供三人であり、子供三人は学校と就職の関係上同村から自動車で約一時間の徳山市に出ていた為原告は同市に住家を購入し、昭和二十六年の秋頃には右本庄の家の一部物置になつていた十五坪の平家を移築して同人等を住まわせたが昭和二十七年秋頃長女が結婚することになり、炊事の世話等をする為原告の妻も同所に移り、その頃新たに建坪二十八坪の平家を増築して同年十二月頃同人等の生活に必要な部分の家財道具や祖先の位牌を運んで妻と子供等は完全に徳山市に移り住み同市で住民登録もしていること、その間原告は本件の自宅表二間を使用し裏の部分は訴外小川静一一家に貸与し自分は単身そこに起居し、或は日本殖産金庫須々万出張所の事務室を設けてある妻の実家である同村三輪悦夫方にも時々宿泊し、結局一ケ月の中一日前後同村に滞在しその余は徳山市の妻子の所に宿泊して前記出張所にバスで通勤していたこと、従つて右自宅の部落の夫役等には殆んど出ることができなかつたがそれに代る日当を支払つていたこと等の事実を認定することができ右認定に反する部分の前示小川静一、小川チカ、三輪ユミ子、神田綾子、河野重彦、藤井智光、岸村茂、作道増太、山下孝雄の各証言、原告本人訊問の結果は信用し難く、乙第一、四号証の記載も後記のように措信しないので右認定の妨げとならない。

以上認定の事実と被告において明かに争はない原告が同村より転出の手続をとつていないこと、住民登録が同村に在ること村民税が同村において賦課されていること等を勘案すれば原告自身は依然須々万村に住所を有しているものと認めるのが相当である。即ち自己の郷里である村に永年居住し、最近迄村長を勤めたことがあり、同村に住宅その他多くの不動産を所有し、その村に職業を有し、住民として登録され村民税を納め、居部落の夫役日当を負担している場合に子女の教育、就職等の関係上自動車で約一時間の都市に家屋を建築して妻子を居住せしめ家財の相当部分と祖先の位牌を同所に移し、自分は従来の自宅の一部で簡易生活をしその間右都市に住む妻子の許に多く宿泊滞在することがあつても特別の事情のない限り未だその住所を村より同市に移したものと認めることはできない。尤も原告は昭和二十八年度の年賀状を徳山市の妻子の住居から諸方へ差出していることが成立に争のない甲第十二乃至第十四号証や証人堀家久雄の証言により認められるが滞在場所から出す年賀状にその場所を表示することは通常見受けられる事例であるからこの事だけでは原告が徳山市に住所を移し世間にそれを表明したことにはならない。又証人岡本保吉の証言によると原告が須々万村字本庄の家屋、宅地、田等を一括して売却せんとしたが値段が合わずに売買は成立しなかつた事実が認められこれによると原告が一時須々万村を引揚げ徳山市に移住する意図のあつたことが窺われるが結局売買は成立せず右意図は実現しなかつたものであるから該事実によつても前段の認定を動かすに足らない。尚成立に争のない乙第一号証、第四号証の記載によると原告が前国会議員選挙に際し須々万村において久原派のために選挙人数名を饗応し違法の選挙運動をしたことについて公職選挙法違反に問われその被告事件において自ら住居が徳山市に在る旨供述していることが認められるがそれは刑事被告人たる原告がその防禦的立場において供述したとも考えられ真相に合致したものと速断するのは危険でもあり該供述記載は前顕採用の各証拠に照し輙く措信することができない。

然らば原告は本件選挙施行当時須々万村に住所があつたものでこれを同村に住所がないから被選挙権もないとして原告の当選を無効とした被告委員会の裁決は違法であり、これが取消を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし民事訴訟法第八十九条を適用して主文のように判決した。

(裁判長裁判官 植山日二 裁判官 佐伯欽治 裁判官 松本冬樹)

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